母のプライドを尊重し、母らしく生きることが皆の願い☆



おはようございま~す

九州方面、西日本にお住まいの皆さま、大丈夫ですか?
台風も近づいているようなので十分にお気をつけ下さいね☆

そして、今日はごめんね。。
智くん嵐さん関連のお話ではないので
読んでもらえる方のみ、よろしくです






長くなりますが、ガンと診断されてからの日々
書き残しておきたいと思います

2012年の春、前年2011年3月11日に東日本大震災が起き
親戚等大勢の身内を亡くした母はそれ以来
ぐっすりと眠ることが出来なくなってはいたものの
特別体調を崩すこともなく、年に一度の健康診断を受けるために
指定されていた病院にお義姉さんと一緒に行ったんですが
そこで、肺ガン(ステージ4)が見付かり
“何もしなければ来年の桜は見れませんよ”と告げられ
すぐに大学病院を紹介されました。

初めての大学病院、私と兄が一緒に付き添って行って
そこで受けたレントゲン検査。

その時のレントゲン写真で既に左側の肺が半分しか映っていなくて
ガンだと知らされていなくても何か異常であることは
素人の私達が観ても分かりました。

これが、ガンに侵された肺なんだ・・・

診察の結果
“高齢ということと、ガンもステージ4ということで
手術をしてガンを取り除くということではなく
これ以上大きくならないような治療をしていきましょう”

“手術はしたくない”という母の意向もあって
そこから抗がん剤治療(錠剤のみ)が始まりました。

最初の1年弱は、その抗がん剤の副作用で
頭や身体の何箇所かにおできが出来
その痒みで皮膚がグチュグチュに化膿したり
指の関節が裂けたりと、抗がん剤治療をしていれば
何かしら副作用は出るだろうと覚悟はしていたものの
実際にそれを目の当たりにすると

“なんで副作用なんてあるんだよ!”
“ガンよりも、薬で身体、傷つけられてるんじゃないの!?”

考えても仕方ない想いがぐるぐる。。
それでもドラマでよく観る想像していたような髪の毛が抜け落ち
吐き気で食欲も落ち、体力が無くなってどんどん弱っていくような・・・
そんな状態ではなかったので
“母の副作用はまだ軽い方なのか!?”
母の辛さを考えれば、軽いも重いもないけれど
これ以上ガンが大きくならないですむならと、治療に疑問を抱きながらも
毎日薬(抗がん剤・錠剤)を飲んで、毎週1回の通院で
血液検査にレントゲン、診察という治療をずーっと続けていました。
※その当時は、兄はもちろんのこと、お義姉さんもお仕事をしていたので
 2/3は私が病院に付き添っていました。

年が明けて2013年、毎度の血液検査&レントゲン検査。
腫瘍マーカー(ガンの大きさ・広がり)などの数値は安定していたものの
薬を飲んでいるにも拘らず、ガンの大きさが小さくなるわけでもなく
肺に溜まったお水が少なくなるわけでもなく
現状キープと言えども、副作用だけはなくならないことにイライラ。。

お水が増えているわけではないけれど
常に溜まっていればやっぱり息苦しくなって
背中の方にも痛みが出てきたりもするので
その都度、お水を抜いてはもらっていたけれど
この方法も高齢ということで毎回やっていると
今度は、感染症を引き起こすリスクがあると言われ
お水を抜く代わりに痛み止めを貰って過ごしていました。

その後、その痛み止めが原因?薬が増えたことが原因?
よく分からないけれど、肝臓の数値がグンっと上がってしまい
ガンだけではなく、肝臓に対しても対応していかなければいけない始末。

その後も相変わらず、お水は常に溜まってるし
抗がん剤はガンに対しても効いているのだろうか?
(大きくはなっていないので多少は効いてはいるんでしょうが)
これが、ガンと闘わずして今の状態をキープする上での治療なの!?
抗がん剤を服用している間は副作用もずーっとあるわけで
高齢の母のことを考えれば
これが妥当な治療だということは頭では分かっていても
薬ばかりが増える治療に、不信感はどんどん増すばかり・・・・・

“もっと母の体に負担の少ない治療はないのか?”と訊ねたところ
痛み止めをやめて、ずーっと飲み続けている抗がん剤(錠剤)と平行して
“点滴抗がん剤(週に1度を2週続けて3週目は様子見)もやりましょう”
ということで、新しい治療を試みたはいいけれど
その翌日から少しずつ具合が悪くなって
下痢はするわ、熱は出るわで急遽病院に連れて行ったら
肺炎になりかけていて、危うく命を落とすところでした。
それが2013年になって少し経った頃。

痛み止めの薬を飲まなくても良いように
なるべく水が溜まらない様にするうえでの治療とは言え
2つの抗がん剤はやっぱり無理なんだって事で
母と家族とで、もう一度話し合い

“私達はガンと闘う延命治療は望んでいないこと
なるべく副作用も少なく、ガンからくる痛みを和らげながら
最期のときが来るまで出来るだけ、母が母らしく過ごせるようにしたいこと”


などをもう一度医者に念を押した結果
お年寄りに優しい(副作用が少ない)点滴抗がん剤があるということで
今まで飲んでいた抗がん剤(錠剤)を止めて
別の点滴抗がん剤のみの治療が始まりました。
(これも1週間に一度、2週続けて3週目は様子見)

この治療は本当に母にとって、やっとめぐり合えたと言っても過言ではない
頭や身体が痒みで爛れていたのも治ってきたほど副作用もほとんどなく
腫瘍マーカー&肝臓等他の数値も下がって安定し
食欲はもちろん衰えることもなく、趣味の踊りも再び楽しめるようになって
秋には、私と長女次女と母とで箱根に1泊旅行も出来たくらい元気になって
その頃は本当にガンを患っていることなど忘れてしまうほど元気でした。
何で最初にこの治療を勧めてくれなかったんだ?
理由は↓で分かることに。。

2013年11月
母のこと、家族のことなど後々のことを考え
お義姉さんは仕事をやめ、専業主婦に。

年が明けて2014年
震災の時期になるとやっぱり何かしら起こる。。
思い出してしまうんでしょうね。。
岩手出身の母、兄弟や親戚など大勢の身内を亡くしました。
寝付けなくなることが度重なり、体調を崩したことで
そういうときには点滴抗がん剤は出来ないということで
2回分2週ばかり治療を休んだら
あっという間に腫瘍マーカー等の数値も上がり
お年寄りの体には優しいと言われた点滴抗がん剤は
身体に優しいというだけに、見た目の元気さとは裏腹に
知らないうちにガンは、少しずつ進行していたようで
骨と脳にまで転移してしまっていました。

水が溜まることで痛がっていた背中も
骨に転移したことで常に痛い状態に。
たった2回、点滴抗がん剤を受けなかっただけで
こんなにも急激に進行するの?
今までの治療は何だったの?

どんな治療をしても結局はガンの進行を食い止める
キープさせることが出来ないなら
もう治療はしたくないと弱気になる母を見て兄が
“治療しなかったらどうなりますか?”と聞いたら
“半年、もつかどうか・・・”

体調を崩す前の元気な母を見ていたせいか
半年と聞いてショックも大きく・・・
でも、もしここで治療をやめていたら
今現在よりは、もう少し体も楽に生きていられたのかな?
そんな事を考えると、やりきれない気持ちでいっぱいになります。

これをきっかけにこの点滴抗がん剤は止めることになって
最初の、副作用が酷い抗がん剤(錠剤)が
脳にも効き目があるということで、再び服用しなければいけなくなり
(他の抗がん剤はもっと副作用が酷く高齢の母には勧められないとの事)
この薬は骨には効かないので
骨がもろくならないように強くする点滴も打ちながら治療していたのだけど
副作用がやっぱり酷く、加えて背中の痛みも増し
痛み止めを服用していたのだけど
その痛み止めでは効き目がなくなってきて
別の痛み止めを処方してもらったら
今度は便秘になってしまった・・・・・

なんでだよ。。

お義姉さん曰く、母ね
数日間便が出なくて、お腹が張っていたのを我慢していたようで
母もこんなに酷くなるとは思っていなかったんでしょうね。。
そのお腹の張りから何も食べることが出来なくなって
急遽病院に連れて行って浣腸をしてもらって
やっと少し出るようになったようなんですけど
お腹が張って食べられなかった数日間に10kg近くも痩せてしまっていて
先日未来の記事に書いた、病院に連れて行こうと迎えに行ったときの
二周り小さくなった母の姿を見て、言葉を失った瞬間でした。

どういうこと?薬が原因で便秘になっちゃうの?
痛み止めにも副作用があるの?

医者の答えは“あります”でした。

なので今度は下剤を調節しながら飲まなくてはいけなくなって
もう、薬三昧の日々。

私がその日、病院に連れて行った時はもう母は
体力がなくなっていて片道1時間弱の車も辛かったほどで
初めて車椅子を使ったのですが

診察の前に看護師さんが毎回、調子を聞きに来てくれるんだけど
この日の看護師さんは初めての方で
ちょっとした問診も何か一言一言キツイ感じがして
母が自分で話すのはもう無理だったので私が最後に訊ねたんです。

数日間便秘でお腹が張って何も食べられなかったうえに
水分もほとんど飲めていなかったので脱水症状にならないように
栄養剤か何かブドウ糖でもビタミン剤でも何でもいいので
点滴を打ってもらえないかと聞いたら

“栄養剤というものはないんです”と。

“はぁ~???”

医者に聞いてみても
あれは栄養剤でもなんでもない、ただの水分のようなものだから、と。
1ℓ入れて、ご飯茶碗半分くらいの栄養にしかならないし
1ℓ入れるとなると半日はかかるし栄養は口から入れた方が確実だから、と。

口から物が食べれるなら最初から点滴なんて頼んでないわ!
車椅子に座っているのもやっとなのに・・・・・
結局、点滴はやってもらえず
母は何も言わなかったけど悔しかったはず。
そんな憤りを感じながらいろんなことを考えていた帰り道
智くんと奈良さんコラボの未来Tシャツに出会って
その瞬間もう我慢できなくなって大泣きしてしまったんだよね。。

翌日、近くの個人病院に連れて行ったら・・・・・
すぐに点滴を打ってくれました。
糖分と電解質が入った点滴。。
大した栄養でなくったっていいんだよ!別に。。
気休めだっていいの、それで母は落ち着くんだから。

母も、今までは辛いながらも治療を頑張ってきたけれど
今回の、自分が一番辛いときの対応が決定打となって

“もう大学病院での治療はやめる、入院もしない
家にずーっといたい”
って

私も兄もお義姉さんも

“うん、もう治療はやめようね。家でゆっくりしよう”

6月25日(水)の通院日、私は実家で母と留守番をし
お義姉さんだけ病院に行き
その旨を話して、これからは近くにある個人病院で診てもらう事など伝え
母のガンの詳細など記録したDiscなどを持たせてくれ
大学病院でのすべての治療が終わりました。

この日から薬は、痛み止めのみになり
少しは楽になったかと思いきや、もともと不整脈を持っていた母。
それでもガンと告知される前は脈が乱れても
無理せずに少し横になっていれば治ってしまうほどだったのに
6月26日、不整脈を起こしたらしく
1分間に170と、とんでもなく脈が速くなってしまって
肺ガンの人が不整脈を起こすととても危険らしく心不全になりかけたようで
その日は1泊だけ入院させてもらって落ち着いてから家に戻ってきました。

一昨日は一昨日で午前中、突然お義姉さんから電話がかかってきて
便秘が続き、下剤を飲ませたら2回、排便があったのは良かったんだけど
急激に出たからか、突然血圧が下がって、体温も35度4分にまで下がり
めまいと異常な汗と、血の気がなくなってって

救急車を呼ぶからと言っても嫌がったようで、私を待っててくれてね
ほんで、お義姉さんと二人で母を抱えて車に乗せ
病院に連れて行ったんだけど。。

こんな感じで何度も危なくなってきてるし
さっきまで普通だったのにどうして急に?ってことが多くなり
ほんの少しでも目を離す事が出来なくなってきたので
最近は何も用事がなければ実家に行くことが多くなり
昨日も行ってきたんだけどね

母ね、こんな状態ではあるんだけど、ちゃんとプライドは持ってるんだよ
踊りの先生や仲間が顔を見に来てくれた時も
私はその時いなかったんだけど、お義姉さんに
“お化粧をして”とか“かつらを被せて”とか
抗がん剤治療をしていた頃の副作用で
頭が痒みで爛れていたものが全て治ってカサブタになっていたのを
見られるのが嫌だったんでしょうね

それとかね、体を拭いたりトイレの時も、私以外に誰もいないのに
“ふすまを閉めて”とかね、恥じらいだったり
カッコ悪い姿を見られたくないとか、そういう意識がちゃんとあってね
排尿排便も、“トイレでしたい”って
介護ベッドの横に置いてあるポータブルトイレで
もちろん介助が必要なんだけど、頑張ってます

そして、大野神社のお守りをわざわざ送ってくださったHさん
母のことを気にかけてくださってありがとう~
そのお気持ちがとっても嬉しかったです

お守り

優しいお心遣いに感謝します

正直この夏、越せるのか分かりません。
でも、何度危うくなっても頑張って戻ってきてくれる母。

お義姉さんと話してたんだ~
意識をちゃんと持ってるのはいいことだね~って
母はもう、綺麗ごとなど言えないほど弱くなってしまったけれど
最期まで、母の思うようにさせてあげようって

お義姉さんがね、本当に優しい人で、自分の母親でもないのに
こんなお嫁さん、他にいるのかな?と思うほど母のこと、良くしてくれてね
そんなお嫁さんだから母も
“入院したくない!家にいたい”
素直に言えるのかも

でも、介護も思っていた以上に大変。。
みんなで協力して頑張らなきゃね

母の気持ちを最優先に、千葉に住んでいる姉の分まで
最期まで諦めずに見守って行こうと思います

いつも励ましてくれてありがとう~

ではではまた~

前回の記事にコメントを下さった
Aneさん×2、佳織さん、ドナルドさん、怪物3104さん、けいこさん
もるもるさん×2、さとっちょさん、春ピンさん、ブルーコットンさん
machirinさん、まろんうささん

いつも、心が温まるコメントをありがとうございます☆
そして、励ましてくれてありがとう~☆
感謝です☆
Aneさん、構わないですよ♪
教えてさしあげてください(´▽`
東京宝塚劇場(後編)のエピにも、写真をUPしてありますので~♪
一言、お声をかけてくださり感謝です☆

いつもたくさんの拍手をありがとうございます
感謝


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sachiさん
お母様との時間を大切にして下さい。

私事ですが父の事を思い出してしまいました。
父は何度か癌をしており、最後に様子が変だなと病院に連れて行った時でした。
医師と父と兄と私で話しを聞いたのですが、余命3ヶ月と告知されました。
治療法としては手術は無理、抗がん剤の効き目も0%ではないけど確率的には一桁だろう。
最期まで痛みを和らげるのみの治療法を選ぶか、効果は出ないかもしれないけど抗がん剤をやってみるか、父は命の選択を医師に告げられたんです。
『少し時間を下さい』しっかりとした口調で医師に伝えるやせ細った父が凄く大きく見えました。
母と兄は痛み無く最期をとの考えだったようですが、私は父は最期まで諦めないだろうと思っていました。
仕事帰りに必ず病院に寄っていたのですが、父は私の息子、初孫ですね、言葉を少し話すようになって(1歳)可愛がっていたので諦めたくないと・・・・・
1%でも可能性があるならそれにかけたいと!

余命を告げられたのが7月、息子の誕生日が10月だったんです。
きっと息子の誕生日までは何としても生きたいという必死な気持ちだったんだと思います。

私は父の髪を昔から良く洗ってあげていたのですが、病院でも洗ってあげていたんですね。
お洒落好きな父は抗がん剤の副作用で抜ける髪を気にしていました。
下の世話も絶対にやらせてはくれなかったですね。
頑張ってました。
どんな時でも痛いとか、苦しいとか、一度も弱音を吐かず、私には真似出来ないなぁ~って・・・・

息子の誕生日に一時帰宅させてあげたかったのですが、高熱が続いて叶えてあげられませんでした。
元気だったり、意識が朦朧としていたり、日々変化が出ていたのですが、亡くなる2日前は息子が体調を崩して保育園を休んだと言うと何度も電話を掛けてきて『陽介は大丈夫か?』と言っていました。

3ヶ月とちょっと・・・・・
息子が2歳をちゃんと迎えてから逝った父
最期まで強くて優しい父でした。

病は気から・・・・・
気持ちも大切ですね。
病気のお母様、見守る家族も辛くて大変ですが、最期までお母様がお母様らしく過ごせますように。
sachiさんもお母様と少しでも長く時間を過ごして下さいね。

[ 2014/07/09 11:35 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 12:19 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 13:55 ] [ 編集 ]

はじめまして。kannaと申します。

以前から読ませて頂いていたのですが、はじめてコメントさせていただきます。

私の母は昨年亡くなりました。ガンと診断されてから5カ月でした。
私は弱っていく母から目を背けて、離れていること、子供たちの事を言い訳にあまり会いにも行きませんでした。亡くなる1カ月程前に病院で会った時も話し方は今までと変わらなかったことで勝手にまだ大丈夫と思ってしまっていました。
後悔はたくさんあります。

sachiさんがお母様にして差し上げていることは私が全然出来なかったこと、しなかったことです。何もしなかった自分を置き換えて自分が母にしてあげている気分になって罪悪感けら逃げているのかもしれません。

病気と闘っている本人に比べればと思うことはありますが、家族も充分闘っています。辛い時もあります。
sachiさんご自身が体調を崩したりされませんように。
お母様と穏やかに過ごせる日々が少しでも長く続きますように。

説得力もない私のコメント、不愉快な思いをさせてしまいましてらすみません。
長々と失礼いたしました。
[ 2014/07/09 15:41 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 18:27 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 19:14 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 20:38 ] [ 編集 ]

こんばんは、Sachiさん

お義姉さんとお二人で頑張っていらっしゃるんですね
読んでいて涙が出て仕方ありませんでした。
本当に突然具合が悪くなったりするんですよね

うちの母も午前中気分が良いんだーと思っていると、午後には寝込んでしまったりとビックリするほど体調が変わります。
先月は一日具合が悪くてベッドから出られない日がありました。
私には弟が一人だけ親戚も近くには居なくて、その弟も福岡に単身赴任(家族は千葉に)、何事も自分流できた母ですから自分の思うようにならない体に歯痒い思いをしてたまにイラつくのが解らないわけじゃないけれど、私だってきついと思ったりすることもあるので、時にぶつかったりしてしまうと「あぁ なにやってるんだろう」と深く反省する日々です。

だから、Sachiさんとお義姉さんのお世話のなさりようが心に響いて、自分を顧みて深く恥じ入るばかりでした。
Sachiさんとお義姉さんもお体を大切になさってお母さまを見守ってあげてくださいませ。
[ 2014/07/09 20:43 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 21:13 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 22:15 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 22:24 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/09 23:01 ] [ 編集 ]

sachiさん…
歯がゆいですよね…
私達素人には専門知識が無いからドクターに託す…
看護師さんに理解を求む…優しく声を掛けて欲しい…ただでさえ繊細になってるのに…気遣ってくれよ!察してくれよ!と…
でも時には毎日一緒に過ごしている家族の方が専門家より治療において冴える時がありますよね。薬、治療法に関しては特に…
副作用に苦しんでられるお母様を隣でみられていて 腹立たしいかったでしょう…どんなに悔しかったでしょう… 辛かったですね、sachiさん…

朝調子が良くても夕方熱が出る…また直ぐに下がる…
昨日食事を取れても今日は取れない…
一日一日で症状が変わります。
お母様、体はしんどくても頭はしっかりされているから…お母様の気持ちを考えると お辛いですね…お母様、立派な女性です。
本当に毎日毎日が大変でしょうが sachiさんも
お食事もちゃんと取って体力つけて 倒れない様にしないと!
お身体 気を付けて下さいね♡



こんな時にご迷惑お掛けしました…m(_ _)m
本当に反省です…
お言葉に甘えて伝えさせて頂きます。
いつも 優しく温かい声を掛けて下さり感謝です♡
私がsachiさんにいつも包んでもらっている…
心より… sachiさんとお母様に幸あれ♡
ガンバ!!!o(^▽^)o
[ 2014/07/09 23:30 ] [ 編集 ]

ありがとうございますm(_ _)m

Sachiさん、はじめまして。
私も智君の大ファンで、よくブログ拝見しています。

突然ですが、私の父も癌です。
食道癌です。
昨年10月に癌が見つかり、ステージ2でしたが、癌細胞では珍しい小細胞癌(転移率95%といわれているらしいです)の為、手術は出来ない。余命1年と言われました。
私は諦めきれずに、宮崎県在住ですが、福岡の九州がんセンターまでセカンドオピニオンに行きました。
父も手術を希望してくれたおかげて手術し、その後、点滴での抗癌剤治療を受けました。
それでも先日の7月7日、リンパに3箇所転移が見つかりました。
主治医は迷わず緩和ケアを勧めました。
まだ気持ちの整理がつかなかったんですが、Sachiさんのブログを拝見して最後まで頑張ろうと思いました。読んでくださり、ありがとうございます。
Sachiさんも頑張って下さい。
[ 2014/07/10 00:11 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 03:26 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 07:04 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 08:46 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 08:50 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 10:17 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 12:50 ] [ 編集 ]

同じように、

わたくしも、兄を胃ガンから全身転移で、そして、主人の弟を、血液のガンで。
その弟は、ドナー提供も、手術も上手くいき、皆が安心した頃、大学病院で院内感染から、肺炎で、あっという間もなく肺炎で。
二人とも、最後まで、本当に最後まで頑張ってくれました。
付き添い、寄り添う、家族の辛さ。
子供たちの心配をする姿に、涙を隠すのが辛かったこと。
いろいろ思い出します。
遠く離れてはいますけど、やはり、従兄弟夫婦や親戚を、震災で亡くしました。
人の生命は、はかないけれど、強く、尊く。
たくさんのことを身をもって教えてくれました。
どうか、ご自分のお身体にもお気をつけて。
食欲不振でも、自分が今倒れてはいけないと、食事をいただいた覚えがありますので。
栄養ドリンクだけで動いていた日もありました。
どうか、お大切に。
[ 2014/07/10 16:37 ] [ 編集 ]

こんばんは。
sachiさんのブログのおかげで、また父のことを思いだしました。5年前に父はなくなりましたが、その時、娘は幼稚園の年中。そして、ガンの手術をした時は、まだ2歳で。私は何もできなくて、千羽鶴をつくりました。そんなことしかできなかった。
はっきり、病状が私は理解してなかった。あっという間になくなりました。今も、妹と病院に行ったときのメールのやりとりを見るとせつなくなるし、もっと何かできたんじゃないかと思います。私は、4人兄弟ですが父とは1番仲良かったと。
私にはまだ母がいるので、父の分も孝行しなくちゃいけませんね。母もvs嵐が好きだそうです。今日も見てると思います。
[ 2014/07/10 18:50 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/10 21:34 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 01:06 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 02:39 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 03:27 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 03:32 ] [ 編集 ]

sachiさん、こんにちは
皆、さまざまな状況でいろいろなことを感じ、考えながら生きているんですね

私自身は父を亡くしていますが、入浴中の脳卒中で突然のものでした
同居ではありませんでした 最後に会ったのは、とか交わした会話とか全てが日常の中で全く記憶にありません
諸事情でお葬式もなかったので亡くなった実感がなく、いまだにぼんやりしています
末っ子で唯一の女の子だった私をそれはかわいがってくれた父でした
こんなあいまいな記憶しかなくてごめんね、もっと好きだよっていう気持ちを伝えなくてごめんね、と思っています

sachiさん、からだには本当に気をつけて
お義姉さんと一緒にお母様に寄り添ってください
でも、上手に息抜きもしてくださいね
[ 2014/07/11 10:01 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 10:18 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/11 15:16 ] [ 編集 ]

Sachiさん こんばんは~

なんて言って良いか…言葉が見つかりません。
大切な大切なお母様との時間を大事になさって下さい。

Sachiさんも体大事にして下さいね。
[ 2014/07/12 21:02 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/13 02:34 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/13 22:30 ] [ 編集 ]

sachiさん こんばんは~☆

お母さま・・・大変だね・・・でも一番辛いのはお母さまだからね・・・
周りのsachiさんやお義姉さんやお兄さんももちろん体調に気を付けてね・・・

前にもここで書かせてもらったように思うんだけど・・・
私の父も肺癌だったんだけど…
父も病院より家がいいと自宅で病気と闘ってた・・・
週一で先生が隔日で看護師さんが覗いてくださり・・・
とても娘の私には心強かったんだけどね・・・
でも、ずっと父を見ていられないし・・・仕事もあったし・・・
自分の家の事、子供の事・・・
やっぱり今から考えてももっと父の傍にいてあげればよかった・・・って後悔したよ・・・でもね・・・
sachiさんどれだけ傍にいたとしても・・・もっと、もっと・・・って思うと思うんだ・・・
だからsachiさんは今までもそうしてたようにこれからも悔いのないようにお母さまに寄り添ってあげてね・・・

お義姉さんもとってもいい方でほんとsachiさんよかったね!感謝だね!

お母さまとの時間をたいせつにね・・・

じゃあまたね・・・☆
[ 2014/07/13 23:29 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/13 23:45 ] [ 編集 ]

道は必ず開ける

お久しぶりです。ちょいちょいお邪魔させて貰ってたのですがコメントできなくてごめんなさいです。 道は必ず開けるって智クンが言ってた。私、いつもsachiさんに元気もらってるのに 上手に言葉にできなくて... sachiさん体崩さないようにしてください。
[ 2014/07/14 01:20 ] [ 編集 ]

歯がゆいですね。

初めまして。

うちの母も乳がんでステージ4になりかけでした。
私には「乳がんかも?」と言う予兆はあったのですが、本人が病院に行くのを嫌がり勝手に『乳腺症』と決めつけ、3年程放置していました。
結局血膿が出て決心がついて病院に行ったら、肺にも腰にも転移が進み、お医者さんからは厳しい言葉を浴びせられました。

結局その先生が手一杯で別の病院での治療になり、抗がん剤(点滴)が運良く効きはしましたが、やはりがん細胞だけを叩くことは出来ないので、仰る通り健康な細胞にも大きな影響を及ぼすので体力が落ちたり、免疫力も落ちるので家族にとっても目離せない状態になりますよね。
うちは母の希望で、誰にも知らせず私だけに看病を求めたので、仕事も休まずお金の工面から看病に至るまで…本当に大変でした。
半年間の抗がん剤でガンが小さくなり、摘出可能となったので手術で取り除くことが出来、それから5年を過ぎました。
年齢もあるので元通り元気に…とは行きませんが、そこそこの生活は送れています。

お母さんもこれからますます夏の暑さで更に大変でしょうが、看病するsachiさんたちが倒れないようにご注意下さいね。
一番大変だった夏は、食べる気力も時間も無く、後から心身ともに激しく壊れましたから…。

ここで応援することしか出来ませんが、辛い時はいつでも吐き出して下さいね。
[ 2014/07/14 23:47 ] [ 編集 ]

 こんばんは

私の父もガンでした。
ぼうこうガン、もう、年もとしだったので、手術はしませんでした。本人も、人口膀胱を、つけるのを嫌がり、その旨を、医者につたえて、自宅に帰りました。
その後、熱がでたので診てもろうと、大きな病院だったので、私が順番をとり、父を連れてこようとしたところ、その医者には、治療をしなんだから、つれて来なくていいと、いわれました。
確かに、治療は、しないけど、薬ぐらい、と思ったんですが、あまりにも腹立たしくおもったので、小さな町医者の先生に、その後を、お願いし、告知から、3年後、寝込むことなく、2日だけねたのかな、安らかにいきました。
自宅で亡くなり本望だったとおもいます。
ただ、あの時言われたことを思い出すと、今でも泣けてきます。
さちさん、いいお姉さんで幸せですね、二人で頑張ってくださいね。
[ 2014/07/15 00:59 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/15 23:12 ] [ 編集 ]

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[ 2014/07/20 22:31 ] [ 編集 ]

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