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2015-03-21 12:21 | カテゴリ:智くん素敵エピソード



こんにちは~

エピ2件の下に限定記事も書いていますので
まだお読みになっていない方は、そちらもお読みになってくださいね

***************

ではでは前編の続きです

Sさん、貴重なお話を教えて下さってありがとうございます感謝

※全ての文章の無断転載・無断引用を固くお断り致します。

こちらの内容は“S”こと私個人が書いたエピソードを
sachiさんのご厚意により掲載させて頂いてます。
その点を充分にご承知願います。
他グループファンの方には、ご理解頂けない文面もあるかと思いますが
ここは“サトシック”が集う場所ですので
そのまま静かにお帰り下さいますようお願いします m(u_u)m
エビソードはTV番組、ラジオ、雑誌、DVD、コンのMCなど
当時をご存じの方々等々の情報を集めて取りまとめたものです。
文章はニュアンス等が違う事もあるかと思いますが
なにぶん素人ですのでご理解下さい。 宜しくお願いします。



8月の“こけら落とし特別公演”
チケットが販売直後に完売する大盛況でしたが
9月から予定されているJr.達が座長となる
『 Kyo to kyo '97 秋公演』のチケット売れ行きは、思わしくなく
心配される状況となりつつありました。

そして幕が上がると、空席の目立つ客席・・・なんてものではなく
ガラ空き Σ(°Д°;≡;°д°)
土日・祝日は満席になることもありましたが
平日は、Jr.ファンが圧倒的に多い中・高生が学校へ行っている時間帯であり
8月には、ジャニーズの顔とも云えるメンバーの座長公演を終えたばかり。
どうにもままならない事態になっていたと思います。

開場時間になっても、人の姿がまばらなロビー。
開演時間が迫っても、一目で数えることができる人数しかいない客席に
開演を待つお客さん達も、心もとなくしていると
幕が上がりガラ空きの客席を見て

「昨日より人数多いよ。一桁だったからね、昨日は!!」と笑って
お客さん達に、もっと近くの席へ移るように誘導したり・・・
そんな日々が続きました。

1997年の『Kyo to kyo』は、12月10日に通算506公演を行い幕を閉じます。
智くんは、一足早く11月25日に、次の舞台『MASK』の舞台稽古のために
舞台を終えています。

翌'98年の公演は、チームに別れて日替わり出演することで
体力的に楽になったと思われますが・・・

1998年11月の智くんが座長となった公演を、例えにあげれば
2日⇒3公演・6日⇒4公演・8日⇒5公演・10日⇒3公演・13日⇒4公演・
17日⇒4公演・18日⇒3公演・21日⇒5公演・24日⇒3公演・26日⇒4公演・
27日⇒4公演・29日⇒5公演の全47公演。

他に、ヤングジャーニーズSPとして
3日・15日・22日の1日各5公演、計15公演にも出演。

11月だけでも62公演に出演したことになります。

また、度々人数に欠員がでるので(東京のテレビ番組等の出演のため)
他の公演にも助っ人出演することが多々ありました。
新番組『8時だJ』の初回収録は、ハワイだったこともあり
数日間に渡り多くの欠員が出て
「残り組での公演!」・・・そんな風に揶揄されたり。

『VS嵐』(2014年7月11日放送)
関ジャニ∞の丸山くんと安田くんが、空気を読まずに
マラソンで1位2位を独占したと話した回です。
入所したばかりのJr.達や智くん以外の嵐メンなど、多数出演したハワイロケ。
華やかなハワイロケには目もくれず智くんは、京都の舞台で汗する毎日です。
来る日も来る日も、牛若丸に扮して宙づりされてたんですね。時には涙して・・・

そんな智くんは、この『kyo to kyo』だけでも
軽く1,000回近く宙づりされていたのではないでしょうか!?
年末の『紅白歌合戦』でも宙づりになっていましたが
智くん唯1人、ゆらゆらと揺れることなく微動だにしてませんでしたね。

宙づりには、1本吊りと2本吊りがあるそうですが
背中で吊られる1本吊りは、上半身にボディーハーネスを装着するので
自由が利かない分、支点が背中になるので上半身が安定し
直立しても揺れが少なそうです。

2本吊りは、腰にハーネスを装着するので上半身の自由が利く分
上半身が不安定になり、更に股関節を締めつけるので
直立不動でいるとうっ血が酷くなるそうです。

何百回という経験があるから、微動だにせず、うっ血した状態でも
唄うことができるんでしょうね!!

東山さんが『kyo to kyo』の舞台に立たれのは、ほんの数回でしたが
そもそも、『kyo to kyo』が公演された劇場“京都シアター1200”
ジャニーズ事務所や吉本興業などが共同出資により運営され
東京以外の地で“初”のロングラン公演!でしたから
事務所としても力が入っていたと思います。
“こけら落とし特別公演”での
そうそうたる顔触れを見てもお分かり頂けると思います。

なのに幕が上がると・・・その話は、東山さんの耳にも届いていたと思います。

今でこそ、伝説の舞台『kyo to kyo』と言われてますが
当時は翌年の公演も危ぶまれる舞台でした。
そんな過酷で困難だった舞台の仕事を
16・17歳のJr.でしかない男の子がやり遂げ
やがて“嵐”のメンバーとしてデビューする。

デビュー後は、“嵐”のコンに幾度となく足を運び
沢山の助言をして下さっただけでなく
冠番組等にも、けっして表立ってではなく、アシストして下さったのも
東山さんでした。

智くんに至っては、21世紀を迎え装いも新たに
“初”のトリプルキャストという演出を試みた
『PLAYZONE2001"新世紀"EMOTION』に、その1人として声をかけていただき



智くん10☆


少年隊さんの冠番組『少年タイヤ~青木さん家の奥さん~』にも
主演させて頂く。
主演を果した舞台『センゴクプー』には、森光子さんを連れて
わざわざ大阪公演に足を運んで下さいました。
なんでも、東山さん曰く

「大野の舞台では、いつも泣かされる!」のだそうです。


新年第一弾のエピも、あと1回で終了となりますが
東山さんのことについてはその最後のエピの時に書かせて頂きますね

『Kyo to Kyo』のエピの中でも
どれほどこの舞台が若い智くんたちにとって過酷な舞台であったのか
“大変だったね”なんてそんな一言では済まされない
ファンにとっては胸が痛む貴重なエピでしたね。。

たまのお休み、『もののけ姫』の映画を観に行って
映画を観ることなく寝てしまったのも・・・・・頷けます

唄もダンスも演技も妥協することなく最高のものを魅せようと
いつだって自分自身との闘いに手を抜くことをしない智くん

その基盤の一つともなったと思える
観客が入らないこの舞台『Kyo to Kyo』を遣り遂げたからこそ
心の痛みを感じ、責めることよりもチームワークを大切にし
一緒に前を向くことの意味を知る、周りの人を優しく包み込む懐の大きさ
誰に対しても感謝の気持ちを忘れない現在の智くんの姿があるのは
そんなツライ2年間を経験したからなんだなぁと思いました


※今回は少し時間に余裕がないので感想はサボっちゃおうかなと思ったけど
  エピを読むとやっぱり、書きたくなっちゃいますね
  コメントへのお返事のみ、お休みさせて頂きますますが
  コメント欄は開けておきますので
  どうぞ、お気持ちを置いて行ってもらえたらと思います

『しやがれ』の記事に頂いたコメントへのお返事、もうしばらくお待ちください


ではではまた~

いつもたくさんの拍手をありがとうございます
更新の励みにさせていただきます
感謝


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