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2015-12-13 03:35 | カテゴリ:智くん素敵エピソード


こんばんは~


ではでは(4)の続きです

Sさん、いつも貴重なお話をありがとうございます感謝

※全ての文章の無断転載・無断引用を固くお断り致します。

こちらの内容は“S”こと私個人が書いたエピソードを
sachiさんのブログにご厚意により載せて頂いてます。
その点を充分にご承知願います。
智担です。大野くん贔屓目線にて超重度の“サトシック”が書いてます。
あくまでも智くんが主です。
エビソードはTV番組、ラジオ、雑誌、DVD、CD、コンのMC
当時をご存じの方々等々の情報を集めて取りまとめたものです。
文章は、ニュアンス等が違う事もあるかと思いますが
なにぶん素人ですのでご理解下さい。 宜しくお願いしますm(u_u)m



11月は、智くんのお誕生日月ですが、それだけではなく
大野智にとってアイドルとしての“宿命”を決定づける
“人生の岐路”となる月でもあったと思います。

1994年10月16日、ジャニーズ事務所に入所した智くん。
晴れてJr.の一員となった智くんの初仕事は、1994年11月2日に公演された
“TOKIO”のデビュー初の武道館コンサート。


「はじめてステージに立ったのは、TOKIOの武道館ライブの時(94年)。
 本番前、誰も居ない客席を舞台からながめて鳥肌が立った。
 “ココがすべてお客さんで埋まる。
 みんなが僕たちのダンスを見る・・・” そう思って、震えた。すごい!!って」

(『myojo』1996年9月号)

鳥肌が立つほどに震えても、
「すごい!」と感じ得たことで
踊りに感心も興味もなかった男の子が
Jr.としての一歩を踏み出した瞬間でした。

1年後、1995年11月1日『MUSIC FOR THE PEOPLE』にて
CDデビューを果した“V6”
“V6”のデビューには、智くんも大きく関わっていたことは
“エピ”にて既にご紹介しておりますが


(エピ【ファンを辞めないでくれてありがとう☆嵐への愛を語るさとし☆】より【 幻のV6】)

“TOKIO”“V6”のデビューに立ち合い、それが奇しくも11月。
“V6”は、プロ化を目指していた日本バレーボールに乗じて
バレーボールW杯のイメージキャラクターとして
初の試みで誕生させたグループです。

W杯終了後の“V6”の活躍がなければ
4年後に新たなイメージキャラクター“嵐”を誕生させることは
もしかしたら無かったかもしれません。

そして、ジャニーズJr.初お披露目から1年。
顔も名前も知られてファンも付き、Jr.になって初めて
(1994年は入所直後なので) 迎えた1995年11月26日の誕生日。


「ある日、ファンのコから、いつもの何倍もプレゼントをもらってる人がいて
 なんでだろ~?って思ったら、その人の誕生日だったのね。
 “すげぇ~!俺のときはもらえるのかな!?”って不安だったけど、
 俺の誕生日のときも、ファンのコから “なんだ、コレ!?” ってくらい
 大量にプレゼントをもらったの。
 もう、ありとあらゆる物をもらった気がする。
 洋服、靴、バック・・・身につける物が多かったなぁ。
 本当、衝撃だったよ。15歳の誕生日は!!
 当時は、タクシーなんて乗ったことなかったし
 両手で抱えきれないほどのプレゼント持ったまま、電車で帰ったんだ。
 注目の的だったろうね。“コイツ、何者?”って(笑)。
 今考えると、恥ずかしいよね。
 でも、そんなこと気がつかないくらい、うれしかったんだよ。
 ファンからのプレゼントは、捨てられずに今でも取ってあるよ!!」


それまでは

「誕生日っていっても、家でケーキを食べるくらいで
 誕生日がイベントだと実感したのは、Jr.になってから」


と話す智くん。
沢山のプレゼントは、本当に嬉しかったんでしょうね。

京都でも、ファンからプレゼントされた品を、楽屋に持込み使っていたりと
贈り物は大切に使う智くんです。

その後は、ダンスに目覚め単身京都へ乗り込み
2年間『Kyo to kyo』の舞台に立ち続けますが
京都へ行く直前には、『硝子の少年』にて
CDデビューを果したばかりのKinKi Kidsのバックで踊り
KinKi Kidsとしては初舞台となる『Kyo to kyo』では、一緒の舞台に立ちます。

振り返って見れば
今でこそ毎年のようにグループがデビューしている現状ならいざ知らず
当時の状況で、こんなにも数多くのデビューに直接関わる位置で
仕事をしたJr.は、ほんの数人だと思います。

まして、その後にデビューとなると。。。


そうして迎えた1998年11月29日『kyo to kyo '98』千秋楽。
Jr.時代には人前で涙を見せることのなかった智くんが
涙で唄えなくなってしまったラスト曲『星空のスパンコール』

その涙には沢山の想いと、そしてある決心が込められていました。
舞台を終えた直後、自分の決心を伝えるべくジャニーさんへ電話をすると


“とにかく東京へ帰って来なさい!”

と言われて一旦は帰京。
すると、ジャニーさんに用意された仕事場へ
次から次へと連れ回されることとなった智くん。

一本道と思っていた道は、一本道ではなかったのか!?
それとも、その一本道は最初から“嵐”へ繋がる道だったのか!?

兎にも角にもその後、ジャニーさんに1年間振り回される智くんです。

連れ回された終着点は、アイドルグループ“嵐”でした。
1999年9月15日、ハワイ州ホノルル沖の船上にて
華々しいデビュー記者会見をし、翌々月の11月3日に『A・RA・SHI』でCDデビュー。

ここに、名実共にアイドルグループ“嵐”が誕生しました。
Jr.時代からグループが結成されていたわけでもなく
ユニットすら組んだことのない5人が突如集められた“嵐”

仲の良かったメンバーもいれば
特に話すこともなかったメンバーもいたバラバラの5人。

その中で、デビュー直後に一番早く誕生日を迎えたのが
“嵐”のリーダーとなった最年長の智くんでした。

誕生日当日は、大阪からのW杯バレー生中継があり
試合前のトークの終わりに、番組からサプライズで
大きなバースデーケーキでお祝いをされ、目をパチクリさせて驚く智くん。
なんでも


“デビューすると局側からこんな事をしてもらえるんだぁ!”

と、Jr.時代との大きな待遇の差に驚いたそうです ^^;
そして、生中継の放送を終えて宿泊先のホテルへ帰ると
新しく結成された“嵐”のメンバーも、それぞれにプレゼントを用意して
“嵐”のリーダー大野智の誕生日をお祝いしてくれたのでした。



なまあらし 智のお誕生日3☆

なまあらし 智のお誕生日4☆

※↑写真では分かりずらいですが
  W杯マスコットの“バボちゃん”をデザインした大きなバースデーケーキです。
  その大きさに、智くんだけでなく他メン達も前のめりで喰いついちゃってます。

偶然なのかそれとも必然なのか!?
最年長の智くんが誕生日を迎えた翌月は、相葉ちゃんが
その翌月には翔くんが、そして半年後にはニノちゃん、潤くんと続きます。
(相葉ちゃんと翔くんは逆転しますが) 年長者から順序よく誕生日を迎えます。

バラバラの5人が、まずは最年長のリーダーから誕生日をお祝いすることは
お互いを知る絶好の機会になったと思います。
ほんと、この5人は“嵐”となるべくして運命に導かれた
“奇跡の5人”なのだと思います。。。



デビューして最初にお誕生日を迎えるのが智くんであったことは
偶然だったのか必然だったのかは・・・

こんな考えの方が幸せな気持ちになれちゃう!なんて
自分に都合の良いように良い風に考える私は
やっぱりジャニーさんには感謝しかないですね

智くんが京都に2年間も行っていたこともあり
ほとんど付き合いがなかったメンバーにとっても
最年長の智くんのお誕生日を一番にお祝い出来たことは
智くんの事を知る絶好の機会になったと思うし嬉しかったことと思います

“奇跡の5人”
そして、“奇跡の5人”から“5人で嵐”
誰か一人でも欠けていたなら、今の“嵐”は存在していなかった。。

智くんが他のグループのメンバーだったなら・・・・・
考えたくないですね。。
嵐だったからこそ、この5人だったからこそ
智くんと出逢えたのだと

それを思うと、当時の智くんにとっては“辞めたい”と伝えているにも関わらず
何だかんだと連れ回されて、辞めるに辞められない従うしかできない状況で
とっても複雑な気持ちだったかも知れないけれど
今となっては、どんな形であれ
智くんの事をなんとしても手放さなかったジャニーさんに心から感謝します

“嵐”へと繋がる道だったんだろうな。。
そして、智くんにとって最強で最愛の4人を選んでくれてありがとう~


いつもたくさんのコメントにメール、拍手を
ありがとうございます
感謝


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